大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所熊谷支部 昭和36年(ヨ)54号 決定

申請人 家泉友吉 外二名

被申請人 株式会社大室木工所

主文

申請人等の申請をいずれも却下する。

申請費用は申請人等の負担とする。

理由

一、申請の趣旨

申請人等訴訟代理人は「相手方は申請人家泉友吉に対し金一五〇、六一五円二〇銭を、申請人小林正作に対し金一四二、七〇〇円を、申請人関根登雄に対し金一〇七、五〇〇円を支払え。」との裁判を求めた。

二、申請の理由

本件申請の理由の要旨は、「相手方は木製品の製造販売を業とする会社であり、申請人家泉は昭和二一年七月二五日から常傭日給者として、申請人小林は昭和二八年八月から、申請人関根は昭和二六年七月からそれぞれ請負者としていずれも期間の定めがなく引き続き相手方に雇われ、昭和三六年九月四日相手方を退職したものである。相手方の就業規則によると退職者に支給すべき退職金は別に定めるところによるとされ、この規定に応じて相手方と申請人等の所属する労働組合との間に労働協約たる退職金支給規定が締結された。右協約は申請人等の退職当時すでに失効したのであるが退職金は賃金の後払的性格を有するものでその定めをなした右協約の規定は規範的効力を有し協約失効後においてもいわゆる協約の余後効を有するものである。したがつて申請人等は右退職金支給規定に定める金額の退職金請求権を有するところ同規定によつて計算すると申請人等の退職金は、申請人家泉の分は一五〇、六一五円二〇銭(勤続年数昭和二四年一月一日から退職時まで一一年八月、退職時の基本日給額四一四円として同規定所定の方式で計算)、申請人小林の分は一四二、七〇〇円(勤続年数就職時より退職時まで八年、退職時の割当額一五、〇〇〇円、基本日給額一一三円五〇銭と一ケ月平均就労日数二五日との相乗積を基本給として同規定所定の方式で計算)、申請人関根の分は一〇七、五〇〇円(勤続年数就職時より退職時まで一〇年、退職時の割当額六、五〇〇円、基本日給額一七〇円と一ケ月平均就労日数二五日との相乗積を基本給として同規定所定の方式で計算)となり申請人等は各右同額の退職金請求権を有する。申請人等はいずれも賃金収入を唯一の生活資としており、相手方を退職後各地に就職しているもののその賃金はいずれも一万円前後に止まり、且つ申請人等は先に相手方に在職中にした労働争議中多大の負債を負つて現にその返済を迫られているから、本案の退職金請求訴訟の確定判決を待つことは著しい損害を蒙るので仮処分によりその支払を求めるため本件申請に及んだ。」というのである。

三、当裁判所の判断

1  相手方の主張

相手方は、先に申請人等が相手方との労働争議中に、申請人小林は昭和三四年一二月七日、申請人家泉、同関根は昭和三五年一月三一日それぞれ大室英二方の暴行または相手方従業員の組織する第二組合の組合員家族に対してした暴行、申請人等三名が他の組合員と共同して昭和三五年一月二二日大室春吉方でした暴行および昭和三五年五月一日相手方代表取締役大室春吉、取締役増田に対してした暴行、その他工場占拠、威力業務妨害の非行をなした。申請人等三名は右事実により昭和三五年中に浦和地方裁判所熊谷支部に刑事被告人として公訴を提起され、その審理中のものであつたところ、右非行は当時施行されていた就業規則(以下旧就業規則という)第三六条第二号に該当するので相手方は昭和三五年一〇月五日の申請人等の所属する労働組合(いわゆる第一組合)との団体交渉の席上で申請人等に対し右規定により懲戒解雇を通告したが申請人等が前記事実を事実無根であると強調して争つたためこれを譲歩し申請人等に対する有罪判決のあることを停止条件として懲戒解雇する旨通告し、申請人等もこれを諒承してその合意が成立したのであつて、すでに右の懲戒解雇の通告がなされた以上その条件の成否未定の間に申請人等が一方的に退職を申し出ても相手方がこれを承認しなければならないいわれがないので相手方は昭和三六年九月四日申請人等に対し退職を承認しない旨通告した。したがつて申請人等はいまだ相手方を退職していない。と主張し、申請人等の退職を争うのでこの点について判断する。

2  当裁判所の判断

申請人等がその主張の時から期間の定めがなく相手方に雇われて爾来引き続き相手方の従業員であつたことは相手方が明らかにこれを争わないから自白したものと見做される。しかして疏明によると、申請人小林および同関根は昭和三六年八月一七日、申請人家泉は同年八月二一日相手方に対しいずれも家事の都合を理由として退職願を提出したが、相手方は同年九月四日申請人等に対しいずれも退職願を受理しないと返答し、申請人等の退職を承認しない旨の意思を表示したことおよび相手方の当時施行されていた就業規則(昭和三六年三月一三日施行、以下新就業規則という)第一〇条第一号には従業員は退職を願い出て会社が承認したとき従業員たる身分を失う旨の、また同規則第一一条第二号には退職願を提出したものは会社の承認があるまで従前の業務に服さなければならない旨の各規定があることの各事実を一応認めることができる。右就業規則の規定は、これを通読するときは従業員の退職の成立を使用者の承認にかからしめたものと解する外はなく、民法第六二七条第一項の期間の定めのない雇傭当事者が何時にても雇傭契約を解約することができるとする規定を排除する趣旨の規定であるところ、元来就業規則はその施行される事業場に働く従業員の各個の労働契約の内容となるものであるから、本件においては右就業規則の定めにより、申請人等の労働契約において民法の右規定を排除する特約がなされたものと認められる。ところでこのような特約の効力について考察するに、民法第六二七条第一項の規定が強行規定であるか否かは説の分れるところであるが、雇傭の当事者が継続的契約関係における契約自由の原則の一面たる解約の自由を自己の意思によつて制限することはそれが他の強行法規に反するとか或は公序良俗に反するとかの特段の事由に渉らない限り許容されるものと解される。しかしながら労働基準法第五条が労働者の意思に反する労働の強制を禁止し、同法第一四条が労働契約の期間を一年に制限して使用者が労働者をその意思に反して身分的に拘束し、勤務を強要するのを罰則をもつて禁止している法意と右法条は期間の定めのない労働契約を除外しているが、これは、期間の定めのない労働契約は民法の規定する解約の自由(使用者のなす解雇の自由については民法の規定は労働基準法により修正されているが、強制労働の禁止のために保護すべき解約の自由は専ら労働者からする退職の自由のみであり、この点については労働基準法は民法の規定を何等修正していない。)が労働者に存することを一応前提としこの前提を保持するにおいては長期間の定めの労働契約の場合のように労働の強制が行われる虞れがないことが労働基準法の右規定において除外した実質的な理由となつているものと解される点とより考察するときは、民法第六二七条第一項の規定を排除する特約はこれを無制限に許容すべきではなく、労働者の解約の自由を不当に制限しない限度においてその効力を認むべきものと解するのが相当である。換言すれば、労働者の退職が使用者の承認を要件として効力を生ずるとの特約がある場合においても、使用者の承認を全くの自由裁量に委すものとするときは労働基準法の前記法意に抵触するわけであり、かかる趣旨においてはその特約は無効というべきであるが、使用者において労働者の退職申し出を承認しない合理的な理由がある場合の外はその承認を拒否し得ない趣旨と解するならば、その特約は必ずしも労働基準法の法意に反せずその効力を認めて差し仕えないと解される。これを本件についてみるならば、申請人等の労働契約における前述の特約は、相手方において申請人等の退職申し出を承認しない合理的な理由がある場合の外は相手方はその承認を拒否し得ないという限度において右特約の効力を認むべきものと解するのが相当である。

そこで相手方が申請人等の退職申出を承認しない合理的な理由が有りや否やについて検討を進めるに、相手方は前述のように申請人等に対し懲戒解雇を通告した以上申請人等の退職を承認する要はないと主張するのであるが疏明によると、相手方は相手方主張の団体交渉の席で申請人等の所属する労働組合の支部長に対し申請人等に対する相手方主張のような懲戒解雇を通告し、その主張のような経緯によつて直ちに申請人等に対する刑事被告事件の有罪判決のあることを停止条件とする懲戒解雇に通告の趣旨を変更したことが一応認められる。しかしながら労働組合の支部長は個々の組合員たる申請人等に対する懲戒解雇の通告を申請人等に代つて受領する代理権を当然に有するものとは解されないし、右支部長が申請人等の代理権を有しまたは、相手方が直接申請人等に対し右の通告をなし、或は申請人等が相手方の主張する如き合意をしたとの点についてはその疏明がないから右懲戒解雇の通告は申請人等に対し何等の効力をも生じないというべきである。しかし、相手方の前記主張はその全趣旨に徴し、相手方が申請人等の退職申出を承認しない理由として申請人等が懲戒解雇を受ける現実の可能性が存在することの主張をも含むものと解されるからこれについて判断すると、申請人等が相手方主張の労働争議中相手方の工場を占拠し、また申請人小林は昭和三四年一二月七日相手方の従業員の第二組合の書記長である大室英二方の私宅に他の組合員とともに不法に侵入し、申請人家泉、同関根は他の組合員とともに、昭和三五年一月三一日大室英二に対し暴行し且つ昭和三五年一月二二日相手方代表取締役大室春吉の私宅に不法に侵入し、また申請人等三名は他の組合員等とともに同年五月一日大室春吉の私宅において共同して住居の建具を損壊し同人を脅迫したとのかどにより、住居侵入罪、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反罪に問われ、昭和三五年六月六日および同年七月五日(追起訴)公訴を提起されて、相手方において申請人等の退職を承認しない旨の意思表示をした当時、当庁においてその公判審理中のものであつたことは当裁判所に顕著なところである。そして疏明によれば旧就業規則第三六条第二号は他人に対し暴行脅迫を加え、その業務を妨げた者は懲戒解雇に処する旨を規定していることが一応認められるから右事実関係によれば、将来右刑事被告事件の裁判の帰すうに従い或は申請人等の非行が明白となるにおいては、新就業規則制定後においても旧就業規則の懲戒規定によつて生じた既得の懲戒権に基づき申請人等に対する懲戒解雇をなし得る場合もあるものと解されるので当時懲戒解雇の現実の可能性が存在していたものと認めることができる。しかして疏明によれば、当時の新就業規則の別表退職金支給規定第七条第一号によると懲戒解雇された者に対しては退職金を支給しない旨の規定があり相手方が申請人等を懲戒解雇すれば退職金を支給しないに拘らず、懲戒解雇の現実の可能性が存在しても退職を承認しなければならないとすれば申請人等に対して退職金を支給しなければならない事情にあつたことが一応認められる。右事実よりすればこれ等の事由は相手方が申請人等の退職を承認しない合理的な理由となり得るものと判断される。しかして他に申請人等の退職申し出が申請人等の已むことを得ない事由に基ずく等相手方の承認を要しないで退職の成立すべき特段の事由については主張および疏明がないから、申請人等の退職はいまだ成立しないものといわなければならない。従つて申請人等が退職したことを前提とする申請人等の本案の退職金請求権はその前提を欠いて認めるによしなく結局疏明がないことに帰するところ、この疏明のない点は保証によつてこれを代えることも適切ではないからその余の点の判断を俟つまでもなく、本件申請の如き仮処分をするのを相当と認めないから本件申請はいずれもこれを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九三条第一項本文を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 伊藤豊治)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例